芙江裏山

金子文子は予審法廷で発言している。「如何なる朝鮮人の思想より日本に対する叛逆的気分を除き去ることは出来ないでありましょう。 私は大正八年中朝鮮に居て朝鮮の独立騒擾の光景を目撃して、私すら権力への叛逆気分が起り、朝鮮の方の為さる独立運動を思うと時、他人の事とは思い得ぬ程の感激が胸に湧きます。」一九二四年一月二三日第四回訊問調書。

 

 彼女の意思が凝縮された表現である。囚われても文子は国家へ叛逆する意思を持続していた。ここで文子が「他人事とは思い得ぬ」と語っているのは金子文子の九歳から一六歳までの朝鮮における生活体験を重ねたからである。

 

 その体験を自伝『何が私をこうさせたか』(一九三一年七月発行、春秋社刊、栗原一夫編集)で存分に語り同書の四分の一をあてている。そこには朝鮮において生活面で受けた虐待と希望なき日々が回想されている。

 

「台山は叔母の家の持ち山だった。叔父が以前鉄道に勤めていた頃買って置いたとかいう山で、栗の本が植え込まれていた。」

 

「朝鮮の独立騒擾の光景」を目撃したのは芙江の村であった。

 

 二〇〇八年の韓国訪問の目的の一つに、この山を歩くことを計画に入れていた。芙江という慶尚南道の小さな町に位置している。

「先生が、《あれは山ではない、丘だ》と定義をした事がある位で、この山は決して高い山ではなかったが、それでも位置がいいので頂上に登ると、美江が眼の下に一目に見える」

 

 京畿線の芙江駅に着く。韓国各地も日中の気温は三〇℃前半であり、日本と変わらない。町中を数分歩くだけでも汗をかく。台山への登り口が明示されているわけではない。町の端にある中学校の敷地から登れると見当をつけた。

 

 坂道を登りきった門から校庭を抜け真ん中にある石段を上がった。校庭からは望めなかった畑が広がり後背地に薮と林がある。強引に薮にはぃった。引掻き傷と襲いかかる薮蚊で剥き出しの腕、脚が腫れてくる。汗が膜になり身体を包み込む。空気が動かない。薮が続くようならば引返し別の取り付き口を捜すしかない。

 

「木の枝に褪紅色の栗の実が、今にも落ちそうにイガの外にはみ出している。時には草一本ないところに出るかと思えば時には深い草叢のところに出くわした」

 少しだけ進むと開けた窪地があり抜けて均された狭い道と出会えた。道を上に進む。

 尾根筋の道を進むと林の中でピークと思われる地点に到った。昨年一二月に探索した錦江が望める。

 

……頂上に登ると、芙江が眼の下に一目に見える。……西北に当っては畑や田を隔てて停車場や宿屋やその他の建物が列なっている。町の形をなした村だ。中でも一番眼につくのは憲兵隊の建築だ。  

カーキイ服の憲兵が庭へ鮮人を引出して、着物を引きはいで裸にしたお尻を鞭でひっぱたいている。ひとーつ、ふたーつ、憲兵の甲高い声がきこえて来る。

打たれる鮮人の泣き声もきこえるような気がする。それはあまりいい気持ちのものではない。私はそこで、くるりと後に向きかわって、南の方を見る。……南画に見るような景色である。……山に暮らす一日ほど私の私を取りかえす日はなかった。その日ばかりが私の解放された日だった。」

 

 金子文子は日本国家が朝鮮を侵略し植民地化している現実を自身の七年間の体験を通して充分に感受していた。両親から見離されたという体験、父方の親戚から受けた虐待を被害者としての意識にとどまることなく社会の矛盾としてとらえようと苦闘してきた。

 

 金子文子は十代前半にしてこの朝鮮の地で自殺を試みたが寸前で朝鮮の自然との触れあいから「生き残る」ことを喚起され、思いとどまった。「世界は広い」と思い至り自己の力で生きることに回帰する。前述の自伝で、文子は栗拾いのため里山に登った体験から一時の自由を語っている。同時に頂上から村を眺め朝鮮の人々が憲兵から虐げられている現実にも直面したわけである。

 

 

 

 一〇代半ばの金子文子にとって自身の自由がない生活から免れ得なかったと同じく日本の軍人による朝鮮の人々への暴圧に対しても目をそむけるしかなかった時期である。そして文子は朝鮮の自然に触れ自由な自分を取り戻そうとし「……そうだ、私は自分の生きていたことをはっきりと知っていた」と虐待に支配された精神からの解放を自らなしとげようとしていた。

 

 現在の芙江は錦江の近くにIT企業の工場が誘致され、中層アパートが数棟そびえ、宿屋がモテルに変わっていた。

しかし駅は素朴で停車場にふさわしく古くからの居住地域には村の趣きが僅かにある。

 

 

「何だか腹の底から力が湧い来るような気がして、私は思はず《おーい》と誰にと言うのではなく叫んでみる。けれど無論誰もそれに答える筈はない。私は独り山にいるのだ。」

 

 

 

彼女が精神の自立を獲得したかつての台山は開発で削られることもなく芙江の町を見守っていた。

 

 その山の林の中の道を往きつ戻りつした。

 

「ゆったりとした気分になって草の上にごろりと横わって、空を眺める。深い深い空だ、私はその底を知りたいと思う。私は眼を閉じて考える。涼しい風が吹いて来る。草がさわさわと風に鳴る。」

 

 九〇年前の「叫び」に応答が可能であるか「台山」を彷徨し自立を求めた精神の揺籃の場と深い空を探した。